本貝塚が知られたのは昭和の始め頃に溯るが、正式調査を経ぬまま今日にいたっていた。昭和57年度の東京都心部遺跡分布調査団による調査で存在が確認され、調査が行われた。大地緑辺から斜面にかけて、縄文時代後期前葉から後葉にかけての貝層と、貝層が形成されなくなった晩期の遺物包含層の厚い堆積が確認された。また、階層下には縄文時代前期の遺物包含層も確認された。調査範囲が狭いにもかかわらず、後期中葉の完形土器も数点出土した。大森貝塚との比較資料として重要である。
(昭和62年2月14日東京都指定史跡)
(東京都の文化財1 東京都教育委員会編より)